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長泉町内の観光スポット-021 芦ノ湖水神社 (箱根用水・深良用水) [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は約2000万年前の南海の海底火山でした。そして200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島になり、プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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前回の本宿用水の紹介の中で『本宿用水は1671年に完成した箱根用水の見本となった』と書きました。
今回はその箱根用水(深良用水とも言う)を完成させた5名の元締め、友野与右衛門・長浜半兵衛・尼崎嘉右衛門・浅井次郎兵衛・大庭源之丞を祀る『芦ノ湖水神社』を紹介します。

芦ノ湖水神社ー1.JPG
ここが神社の入り口です。
御殿場線下土狩駅から北北東に徒歩25分程度の距離にあります。
神社の名には芦ノ湖が入り、5名が成し遂げた偉業は箱根用水(深良用水)と箱根(もしくは裾野の深良)が入りますが、この神社の場所は長泉町惣ヶ原の旧箱根裏街道筋に面したところです。
当時、友野与右衛門らの屋敷がここ長泉町惣ヶ原に立ち並んでいたので、その傍らに神社を建立したのだそうです。

芦ノ湖水神社ー2.JPG
神社の入り口に大きく『蘆湖水神』とあります。

芦ノ湖水神社ー3.JPG
境内の前には芦ノ湖神社の由来などが書かれたプレートがあります。その内容を少し調べてみました。
芦ノ湖神社は祭神『みずはのめの命』を主神として、友野与右衛門・長浜半兵衛・尼崎嘉右衛門・浅井次郎兵衛・大庭源之丞の5人を祀り、毎年8月2日に祭典を行っています。
この5人は箱根芦ノ湖の水をトンネルで深良に引く大工事を完成させた元締め達です。
その経緯(概略)は、
駿府の友野家出身の与右衛門は江戸に出て巨万の富を有していたが、たまたま深良の名主大庭源之丞と知り合いになり、水不足で苦しんでいた東駿の農民を助けるべく、芦ノ湖水を引いて新田を開く計画を立て、寛文3年に幕府に用水開発を申請し、寛文6年に開発許可を得て4年の歳月をかけて寛文10年に箱根用水(深良用水)を完成させたとの事です。
なお、総工事費は7,335両2分1朱と言われ、元締め達が投資しました。当初は7年で回収を見込んでいたものの大きく不足し更に2年の回収期間延長してもなお足りず、投資額未回収のままこの用水の元締め支配を終えたと言う事です。(昭和初期にこの箱根用水(深良用水)の話は『箱根風雲録』と言う映画になりました)
その後、元締め達はまもなく消息を絶ちます。碑文によると他国の新田開発のために出郷しそのまま行方不明になったとのことですが、この偉業により裾野・長泉・清水地域は農業用水が確保でき、米の収穫量が増え、安定的に収穫できるようになったので、明治34年にこの用水の恩恵を受けた農民が協議して元締め達が居を構えていた惣ヶ原に神社を立てて、その遺徳に感謝し、その霊を祀ったと言う事です。
ところで、何故当時は芦ノ湖から水を引く必要があったのかと言うと、この地区は富士山溶岩の三島扇状地に位置しているため雨水はすぐに地面に浸み込み慢性的な水不足地域だったからです(昔は『干損場』と言われていたようです)。
ちなみに当時からこの地の地下40~50m付近には数条の伏流水が流下しており、その量は表流水の数十倍もあるのですが、当時の科学ではその存在すら知ることができませんでした。

IMG_0288.JPG
正面の社の前には小さな橋が架かっています。
その橋の下が箱根用水(深良用水)です。
芦ノ湖水神社ー5.JPG
社を正面に見て右側が北になり、用水の上流方向です。

芦ノ湖水神社ー6.JPG
左側が南になり、用水の下流方向です。今でもサラサラと水が流れています。

芦ノ湖水神社-8.JPG
裏に回ると本殿があります。そこに供養塔・地蔵尊・観音像・脇差があると言われますが、この日は開帳されてなかったので見ることができませんでした。
供養塔には「箱根水掘抜元〆水仁」と刻まれているとのことです。水神ではなく水仁として友野・長浜・尼崎・浅井・大庭の5名の名も刻みこんであるそうです。
8月2日の祭典には見せてもらえるようなので来年が楽しみです。

芦ノ湖水神社ー9.JPG芦ノ湖水神社ー10.JPG
この碑は神社の入り口に立っています。何だろうと刻まれた文字を読んでみると水利権に関するものの様です。(漢字ばかりなので読めないところは想像して読み進めました)
それによると、芦ノ湖は相模の国にあるため当時から明治期まで水利権について静岡県側と神奈川県側とで争っていたようです。そして明治30年に大審院の判断で「静岡県側に権利がある」との裁定が下り決着したとありました。

芦ノ湖水神社ー11.JPG
芦ノ湖水神社ー12.JPG
この庚申塔は今回の話には直接関係しませんが境内の中にあったので載せました。
裏には文政十年丁亥と彫られてるので1827年に建てられたものです。
台座には「左 みしま  右 ぬまづ」と彫られています。道標になっていたのだと思います。

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