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長泉町内の観光スポット-025 牛ヶ淵 [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は約2000万年前の南海の海底火山でした。そして200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島になり、プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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牛が淵ー1.JPG
以前報告した幻の城『長久保城』の南東に位置し、梅の木沢川が黄瀬川に合流する地点から黄瀬川を少し上った所に『牛ヶ淵』と呼ばれる場所があります。
牛ヶ淵の上流は富士山溶岩(三島溶岩)で覆われています。また滝も淵も溶岩でできています。昔はこの下流に屏風を立てた様な岩”屏風岩”があったそうですが護岸工事で壊されてしまったとのことです。多分、大きな柱状節理だったと思われます。長泉町内では柱状節理は愛鷹山の位牌岳の頂上付近でしか見かけないのでとても残念です。

牛ヶ淵の滝は落差は4m程で幅は150m程です。この滝の規模に比べて淵は広く、深く、雄大な景観です。

牛が淵ー2.JPG
黄瀬川はいつもは穏やかに流れる川なのでこのような景観を楽しむことができますが、ひとたび豪雨に見舞われると濁流が渦巻き荒れ狂う川です。
そのためかこの淵には名の由来になった悲しい伝説が残っています。
「戦国時代のある豪雨の夜、長久保城が武田軍の攻撃を受け、善戦むなしく落城してしまった。城の萩姫は数人の兵士と女中とともに豪雨の中を牛車に乗りそっと抜け出し、この淵に来たところで牛車が足を踏み外して、牛車もろとも濁流渦巻くこの淵に沈んだ」という哀話です。

なおこの伝説には元になったと思われる3つの話が郷土の歴史書にありました。

一つ目は「大永6年(1526年)7月、北条氏綱が長久保城を攻めた。時の長久保城主 長久保親仲は今川氏親の援軍が来る事を信じて籠城すること13日、いよいよ落城となる前に300名の兵を逃がすために、この年19になる登羅姫を神に捧げる生贄とした。巡礼姿の登羅姫は紅の手綱に金の鞍を置いた黒牛に乗り城門を出て、敵味方注目の中、黒牛の背にあるまま長久保城に向かって合掌し、そのまま淵の深みに入水して消えていった」

二つ目は「永禄元年(1558年)12月28日、武田軍の急襲があり、時の長久保城主 水野忠祐は善戦するも落城し、19になる娘の萩姫は城の高所より黄瀬川に身を投げて自害した」

三つ目は言い伝わっている話そのままの「永禄元年(1558年)12月28日、武田軍の急襲があり、時の長久保城主 水野忠祐は善戦するも落城し、その際に愛娘の萩姫を牛車に乗せて逃がしたところ、牛車もろとも淵に転落して悲惨な死と遂げた」

個人的な見解ですが、牛ヶ淵の伝説は歴史書に残る一つ目と二つ目の事件の内容が似ているので混在してしまった上に、淵に近寄る怖さを強調し人が淵に近づかない様にするために自害を転落事故に変えて出来上がったのではないかと推測します。

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