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長泉町内の観光スポット-022 桃沢川源流地点 [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は約2000万年前の南海の海底火山でした。そして200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島になり、プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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長泉町の観光スポットとして今までに愛鷹山にある水神社やうろこ岩やつるべ落としの滝等を紹介してきましたが、その度に通る桃沢川源流に関して報告していませんでした。
改めて紹介します。
愛鷹山は板状節理が発達していて雨水はすぐに地面に浸透してしまうため川の少ない山です。桃沢川は愛鷹山の数少ない川のひとつで、その名の由来は「愛鷹山を八方に刻む放射谷を百沢(ももざわ)と言っていた」から来ていますが、いつからか百ではなく果物の桃になりました。
桃沢川は愛鷹山の断層を流れる川です。深い断層を見ながらそれに沿って水神社から登って行くと数分後に川のせせらぎが突然後方からしか聞こえなくなります。そこが桃沢川の源流地点です。

桃沢川源流ー1.JPG
源流地点の入り口にはヒメシャラの大木があります。大きな瘤の上方にはしめ縄が架かっているのでご神木と思われます。

桃沢川源流ー2.JPG
こんな大きな瘤ができているのですぐに見つけられます。

桃沢川源流ー3.JPG
ヒメシャラの大木の横あたりから藪の中を進むと苔むした枯れ沢に出ます。
ここが桃沢川の源流地点です。ボコボコと水が湧き出していることで有名な柿田川の湧水とは違い、枯れ沢の岩の下で愛鷹山の伏水が染み出て作ったほんの小さな流れが集まりながら徐々に流れを太くして行きます。
なおこの場所にはハコネサンショウウオが生息しています。

桃沢川源流ー4.JPG
この岩の割れ目の下からも水が染み出て、今にも途絶えてしまいそうな流れを作っています。

桃沢川源流ー5.JPG
大きく引き伸ばすとこんな感じです。

この小さな流れが下流に行くに従って集まり、水神社のあたりで滝となり桃沢川になって約10km下流の鎧が淵あたりで黄瀬川に合流します。

水神社の滝や鎧が淵の滝と合流地点については、このBlogの「長泉町の観光スポット-015 水神社」と「長泉町の観光スポット-008 鎧が淵」をご参照ください。

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長泉町内の観光スポット-021 芦ノ湖水神社 (箱根用水・深良用水) [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は約2000万年前の南海の海底火山でした。そして200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島になり、プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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前回の本宿用水の紹介の中で『本宿用水は1671年に完成した箱根用水の見本となった』と書きました。
今回はその箱根用水(深良用水とも言う)を完成させた5名の元締め、友野与右衛門・長浜半兵衛・尼崎嘉右衛門・浅井次郎兵衛・大庭源之丞を祀る『芦ノ湖水神社』を紹介します。

芦ノ湖水神社ー1.JPG
ここが神社の入り口です。
御殿場線下土狩駅から北北東に徒歩25分程度の距離にあります。
神社の名には芦ノ湖が入り、5名が成し遂げた偉業は箱根用水(深良用水)と箱根(もしくは裾野の深良)が入りますが、この神社の場所は長泉町惣ヶ原の旧箱根裏街道筋に面したところです。
当時、友野与右衛門らの屋敷がここ長泉町惣ヶ原に立ち並んでいたので、その傍らに神社を建立したのだそうです。

芦ノ湖水神社ー2.JPG
神社の入り口に大きく『蘆湖水神』とあります。

芦ノ湖水神社ー3.JPG
境内の前には芦ノ湖神社の由来などが書かれたプレートがあります。その内容を少し調べてみました。
芦ノ湖神社は祭神『みずはのめの命』を主神として、友野与右衛門・長浜半兵衛・尼崎嘉右衛門・浅井次郎兵衛・大庭源之丞の5人を祀り、毎年8月2日に祭典を行っています。
この5人は箱根芦ノ湖の水をトンネルで深良に引く大工事を完成させた元締め達です。
その経緯(概略)は、
駿府の友野家出身の与右衛門は江戸に出て巨万の富を有していたが、たまたま深良の名主大庭源之丞と知り合いになり、水不足で苦しんでいた東駿の農民を助けるべく、芦ノ湖水を引いて新田を開く計画を立て、寛文3年に幕府に用水開発を申請し、寛文6年に開発許可を得て4年の歳月をかけて寛文10年に箱根用水(深良用水)を完成させたとの事です。
なお、総工事費は7,335両2分1朱と言われ、元締め達が投資しました。当初は7年で回収を見込んでいたものの大きく不足し更に2年の回収期間延長してもなお足りず、投資額未回収のままこの用水の元締め支配を終えたと言う事です。(昭和初期にこの箱根用水(深良用水)の話は『箱根風雲録』と言う映画になりました)
その後、元締め達はまもなく消息を絶ちます。碑文によると他国の新田開発のために出郷しそのまま行方不明になったとのことですが、この偉業により裾野・長泉・清水地域は農業用水が確保でき、米の収穫量が増え、安定的に収穫できるようになったので、明治34年にこの用水の恩恵を受けた農民が協議して元締め達が居を構えていた惣ヶ原に神社を立てて、その遺徳に感謝し、その霊を祀ったと言う事です。
ところで、何故当時は芦ノ湖から水を引く必要があったのかと言うと、この地区は富士山溶岩の三島扇状地に位置しているため雨水はすぐに地面に浸み込み慢性的な水不足地域だったからです(昔は『干損場』と言われていたようです)。
ちなみに当時からこの地の地下40~50m付近には数条の伏流水が流下しており、その量は表流水の数十倍もあるのですが、当時の科学ではその存在すら知ることができませんでした。

IMG_0288.JPG
正面の社の前には小さな橋が架かっています。
その橋の下が箱根用水(深良用水)です。
芦ノ湖水神社ー5.JPG
社を正面に見て右側が北になり、用水の上流方向です。

芦ノ湖水神社ー6.JPG
左側が南になり、用水の下流方向です。今でもサラサラと水が流れています。

芦ノ湖水神社-8.JPG
裏に回ると本殿があります。そこに供養塔・地蔵尊・観音像・脇差があると言われますが、この日は開帳されてなかったので見ることができませんでした。
供養塔には「箱根水掘抜元〆水仁」と刻まれているとのことです。水神ではなく水仁として友野・長浜・尼崎・浅井・大庭の5名の名も刻みこんであるそうです。
8月2日の祭典には見せてもらえるようなので来年が楽しみです。

芦ノ湖水神社ー9.JPG芦ノ湖水神社ー10.JPG
この碑は神社の入り口に立っています。何だろうと刻まれた文字を読んでみると水利権に関するものの様です。(漢字ばかりなので読めないところは想像して読み進めました)
それによると、芦ノ湖は相模の国にあるため当時から明治期まで水利権について静岡県側と神奈川県側とで争っていたようです。そして明治30年に大審院の判断で「静岡県側に権利がある」との裁定が下り決着したとありました。

芦ノ湖水神社ー11.JPG
芦ノ湖水神社ー12.JPG
この庚申塔は今回の話には直接関係しませんが境内の中にあったので載せました。
裏には文政十年丁亥と彫られてるので1827年に建てられたものです。
台座には「左 みしま  右 ぬまづ」と彫られています。道標になっていたのだと思います。

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長泉町内の観光スポット-020 本宿用水 [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は約2000万年前の南海の海底火山でした。そして200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島になり、プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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長泉町にある”JR駅から日本で最も近くて(下土狩駅から徒歩5分程度)手つかずの自然の雰囲気を残す滝”と言われる『鮎壺の滝』の近くに本宿用水があります。
鮎壺の滝が雄大な上に富士と滝が揃う景観の良い観光スポットなのに比べると本宿用水は地味で目立ちませんが歴史的には価値の高い用水です。
”目立たないけど地元のお宝”探しをしてきました。

本宿用水ー1.JPG
旧国道246号から鮎壺の滝に続く20m程度の坂道を降りたところに長泉教育委員会が作成した説明パネルがあります。
それのよると、本宿用水は1603年に完成した黄瀬川から取水する灌漑用水であることがわかります。
ながいずみ観光交流協会の資料には、長泉町は富士山溶岩の三島扇状地に位置しているので昔から”干損場”と言われ、水不足で大変困っていたそうです(当時は地下に富士山の水が流れているとは知らなかったようです)。そこで当時の領主、天野三郎兵衛康影が黄瀬川に『新井堰』を設けて取水し、本宿に水を引くための灌漑用水を作ったとのことです。

本宿用水ー2.JPG
鮎壺公園の一角には静岡県東部農林事務所により作られた、本宿用水の説明看板があります。
そこには1671年に完成した箱根用水の見本となったとあります。箱根用水は地理や歴史の時間で学びましたし”箱根風雲録”と言う映画にもなったので割と有名ですが、その見本になった本宿用水は残念ながらまったく知られていません。
また本宿用水は川から取水するので川より低くするためにトンネルを掘って作られています。その大きさは人が立って歩けるほどの高さと広さがあり、当初でも508mの長さだったようです。(見難いですが地図の下部の吹き出しの中に絵があります)
前回の長久保城やその城主の長久保赤水の書いた緯度・経度の入った日本地図(赤水図)と同じように歴史上埋もれてしまった業績の再発見です。

本宿用水ー3.JPG本宿用水ー4.JPG
これが新井堰です。黄瀬川に堰を設けて取水する場所が作られています。

本宿用水-5.JPG
これが新井堰から本宿用水への取水口です。

本宿用水ー6.JPG
取水された水は鮎壺公園の北側を流れて本宿方面に向かいます。
ここで不思議な感覚になるのは、道は登りなのに錯覚で水が高い方に流れているように見えるからです。

本宿用水ー7.JPG
ここが用水路のトンネルの始まりです。川より低く掘り進めていよいよトンネルにしないとならなくなった場所です。ここ以降は現在の旧国道246号の下を用水が流れています。現在では696mの長さにもなっているそうです。

なお、この本宿用水より68年後に作られた箱根用水も長泉町の人が作ったことがわかりました。
次回は箱根用水に関する長泉町の観光スポットを紹介しようと思います。

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