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身近な美しい草木-033 カンアオイ [身近な美しい草木]

私たちの身近には山野草を始め、廻る季節に合わせて美しい花や葉を見せてくれる草木がたくさんあります。その中の食べて美味しく健康をもたらせてくれる葉・花・実は私のもうひとつのブログに載せていますが、食べられないために季節に合わせて美しい姿を見せてくれる草木を紹介する場が無かったのでここに載せる事にしようと思います。不定期になりますが(私見で)馴染みの少ない花たちを紹介しようと思いますのでお楽しみください。
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昨年12月に放送大学の皆さんと愛鷹山の登り口の”愛鷹山水神社”から”桃沢川源流地点”経由”うろこ岩”まで散策した時に、うろこ岩近くの道端にカンアオイが咲いていました。そこにカンアオイが群生しているのは知っていましたが実物の花を見るのは初めてでした。
(愛鷹山水神社・桃沢川源流地点・うろこ岩は、このBlogの『長泉町の観光スポット-001うろこ岩』・『長泉町の観光スポット-015水神社』・『長泉町の観光スポット-022桃沢川源流地点』をご覧ください)

この地味でちょっと見では花に見えないものがカンアオイの花です。
IMG_0329.JPG
葉は心臓型で白い斑紋があるので割と簡単に見つけられますが、冬に土に埋もれるように葉の下に隠れて葉柄の付け根に咲く直径2cm程の小さな暗紫色の花は、葉の下を覗き込まないとなかなか見つけられません。

<カンアオイ>
ウマノスズクサ科カンアオイ属の常緑の多年草です。
自生場所は千葉から静岡あたりで、別名もカントウアオイと言います。
花期は10月~3月、花色は暗紫色。
山地の林下に生える常緑草で、半日蔭で湿度高目な場所を好むので、庭の下草などに使えそうです。


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長泉町内の観光スポット-022 桃沢川源流地点 [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は約2000万年前の南海の海底火山でした。そして200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島になり、プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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長泉町の観光スポットとして今までに愛鷹山にある水神社やうろこ岩やつるべ落としの滝等を紹介してきましたが、その度に通る桃沢川源流に関して報告していませんでした。
改めて紹介します。
愛鷹山は板状節理が発達していて雨水はすぐに地面に浸透してしまうため川の少ない山です。桃沢川は愛鷹山の数少ない川のひとつで、その名の由来は「愛鷹山を八方に刻む放射谷を百沢(ももざわ)と言っていた」から来ていますが、いつからか百ではなく果物の桃になりました。
桃沢川は愛鷹山の断層を流れる川です。深い断層を見ながらそれに沿って水神社から登って行くと数分後に川のせせらぎが突然後方からしか聞こえなくなります。そこが桃沢川の源流地点です。

桃沢川源流ー1.JPG
源流地点の入り口にはヒメシャラの大木があります。大きな瘤の上方にはしめ縄が架かっているのでご神木と思われます。

桃沢川源流ー2.JPG
こんな大きな瘤ができているのですぐに見つけられます。

桃沢川源流ー3.JPG
ヒメシャラの大木の横あたりから藪の中を進むと苔むした枯れ沢に出ます。
ここが桃沢川の源流地点です。ボコボコと水が湧き出していることで有名な柿田川の湧水とは違い、枯れ沢の岩の下で愛鷹山の伏水が染み出て作ったほんの小さな流れが集まりながら徐々に流れを太くして行きます。
なおこの場所にはハコネサンショウウオが生息しています。

桃沢川源流ー4.JPG
この岩の割れ目の下からも水が染み出て、今にも途絶えてしまいそうな流れを作っています。

桃沢川源流ー5.JPG
大きく引き伸ばすとこんな感じです。

この小さな流れが下流に行くに従って集まり、水神社のあたりで滝となり桃沢川になって約10km下流の鎧が淵あたりで黄瀬川に合流します。

水神社の滝や鎧が淵の滝と合流地点については、このBlogの「長泉町の観光スポット-015 水神社」と「長泉町の観光スポット-008 鎧が淵」をご参照ください。

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長泉町内の観光スポット-021 芦ノ湖水神社 (箱根用水・深良用水) [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は約2000万年前の南海の海底火山でした。そして200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島になり、プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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前回の本宿用水の紹介の中で『本宿用水は1671年に完成した箱根用水の見本となった』と書きました。
今回はその箱根用水(深良用水とも言う)を完成させた5名の元締め、友野与右衛門・長浜半兵衛・尼崎嘉右衛門・浅井次郎兵衛・大庭源之丞を祀る『芦ノ湖水神社』を紹介します。

芦ノ湖水神社ー1.JPG
ここが神社の入り口です。
御殿場線下土狩駅から北北東に徒歩25分程度の距離にあります。
神社の名には芦ノ湖が入り、5名が成し遂げた偉業は箱根用水(深良用水)と箱根(もしくは裾野の深良)が入りますが、この神社の場所は長泉町惣ヶ原の旧箱根裏街道筋に面したところです。
当時、友野与右衛門らの屋敷がここ長泉町惣ヶ原に立ち並んでいたので、その傍らに神社を建立したのだそうです。

芦ノ湖水神社ー2.JPG
神社の入り口に大きく『蘆湖水神』とあります。

芦ノ湖水神社ー3.JPG
境内の前には芦ノ湖神社の由来などが書かれたプレートがあります。その内容を少し調べてみました。
芦ノ湖神社は祭神『みずはのめの命』を主神として、友野与右衛門・長浜半兵衛・尼崎嘉右衛門・浅井次郎兵衛・大庭源之丞の5人を祀り、毎年8月2日に祭典を行っています。
この5人は箱根芦ノ湖の水をトンネルで深良に引く大工事を完成させた元締め達です。
その経緯(概略)は、
駿府の友野家出身の与右衛門は江戸に出て巨万の富を有していたが、たまたま深良の名主大庭源之丞と知り合いになり、水不足で苦しんでいた東駿の農民を助けるべく、芦ノ湖水を引いて新田を開く計画を立て、寛文3年に幕府に用水開発を申請し、寛文6年に開発許可を得て4年の歳月をかけて寛文10年に箱根用水(深良用水)を完成させたとの事です。
なお、総工事費は7,335両2分1朱と言われ、元締め達が投資しました。当初は7年で回収を見込んでいたものの大きく不足し更に2年の回収期間延長してもなお足りず、投資額未回収のままこの用水の元締め支配を終えたと言う事です。(昭和初期にこの箱根用水(深良用水)の話は『箱根風雲録』と言う映画になりました)
その後、元締め達はまもなく消息を絶ちます。碑文によると他国の新田開発のために出郷しそのまま行方不明になったとのことですが、この偉業により裾野・長泉・清水地域は農業用水が確保でき、米の収穫量が増え、安定的に収穫できるようになったので、明治34年にこの用水の恩恵を受けた農民が協議して元締め達が居を構えていた惣ヶ原に神社を立てて、その遺徳に感謝し、その霊を祀ったと言う事です。
ところで、何故当時は芦ノ湖から水を引く必要があったのかと言うと、この地区は富士山溶岩の三島扇状地に位置しているため雨水はすぐに地面に浸み込み慢性的な水不足地域だったからです(昔は『干損場』と言われていたようです)。
ちなみに当時からこの地の地下40~50m付近には数条の伏流水が流下しており、その量は表流水の数十倍もあるのですが、当時の科学ではその存在すら知ることができませんでした。

IMG_0288.JPG
正面の社の前には小さな橋が架かっています。
その橋の下が箱根用水(深良用水)です。
芦ノ湖水神社ー5.JPG
社を正面に見て右側が北になり、用水の上流方向です。

芦ノ湖水神社ー6.JPG
左側が南になり、用水の下流方向です。今でもサラサラと水が流れています。

芦ノ湖水神社-8.JPG
裏に回ると本殿があります。そこに供養塔・地蔵尊・観音像・脇差があると言われますが、この日は開帳されてなかったので見ることができませんでした。
供養塔には「箱根水掘抜元〆水仁」と刻まれているとのことです。水神ではなく水仁として友野・長浜・尼崎・浅井・大庭の5名の名も刻みこんであるそうです。
8月2日の祭典には見せてもらえるようなので来年が楽しみです。

芦ノ湖水神社ー9.JPG芦ノ湖水神社ー10.JPG
この碑は神社の入り口に立っています。何だろうと刻まれた文字を読んでみると水利権に関するものの様です。(漢字ばかりなので読めないところは想像して読み進めました)
それによると、芦ノ湖は相模の国にあるため当時から明治期まで水利権について静岡県側と神奈川県側とで争っていたようです。そして明治30年に大審院の判断で「静岡県側に権利がある」との裁定が下り決着したとありました。

芦ノ湖水神社ー11.JPG
芦ノ湖水神社ー12.JPG
この庚申塔は今回の話には直接関係しませんが境内の中にあったので載せました。
裏には文政十年丁亥と彫られてるので1827年に建てられたものです。
台座には「左 みしま  右 ぬまづ」と彫られています。道標になっていたのだと思います。

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長泉町内の観光スポット-020 本宿用水 [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は約2000万年前の南海の海底火山でした。そして200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島になり、プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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長泉町にある”JR駅から日本で最も近くて(下土狩駅から徒歩5分程度)手つかずの自然の雰囲気を残す滝”と言われる『鮎壺の滝』の近くに本宿用水があります。
鮎壺の滝が雄大な上に富士と滝が揃う景観の良い観光スポットなのに比べると本宿用水は地味で目立ちませんが歴史的には価値の高い用水です。
”目立たないけど地元のお宝”探しをしてきました。

本宿用水ー1.JPG
旧国道246号から鮎壺の滝に続く20m程度の坂道を降りたところに長泉教育委員会が作成した説明パネルがあります。
それのよると、本宿用水は1603年に完成した黄瀬川から取水する灌漑用水であることがわかります。
ながいずみ観光交流協会の資料には、長泉町は富士山溶岩の三島扇状地に位置しているので昔から”干損場”と言われ、水不足で大変困っていたそうです(当時は地下に富士山の水が流れているとは知らなかったようです)。そこで当時の領主、天野三郎兵衛康影が黄瀬川に『新井堰』を設けて取水し、本宿に水を引くための灌漑用水を作ったとのことです。

本宿用水ー2.JPG
鮎壺公園の一角には静岡県東部農林事務所により作られた、本宿用水の説明看板があります。
そこには1671年に完成した箱根用水の見本となったとあります。箱根用水は地理や歴史の時間で学びましたし”箱根風雲録”と言う映画にもなったので割と有名ですが、その見本になった本宿用水は残念ながらまったく知られていません。
また本宿用水は川から取水するので川より低くするためにトンネルを掘って作られています。その大きさは人が立って歩けるほどの高さと広さがあり、当初でも508mの長さだったようです。(見難いですが地図の下部の吹き出しの中に絵があります)
前回の長久保城やその城主の長久保赤水の書いた緯度・経度の入った日本地図(赤水図)と同じように歴史上埋もれてしまった業績の再発見です。

本宿用水ー3.JPG本宿用水ー4.JPG
これが新井堰です。黄瀬川に堰を設けて取水する場所が作られています。

本宿用水-5.JPG
これが新井堰から本宿用水への取水口です。

本宿用水ー6.JPG
取水された水は鮎壺公園の北側を流れて本宿方面に向かいます。
ここで不思議な感覚になるのは、道は登りなのに錯覚で水が高い方に流れているように見えるからです。

本宿用水ー7.JPG
ここが用水路のトンネルの始まりです。川より低く掘り進めていよいよトンネルにしないとならなくなった場所です。ここ以降は現在の旧国道246号の下を用水が流れています。現在では696mの長さにもなっているそうです。

なお、この本宿用水より68年後に作られた箱根用水も長泉町の人が作ったことがわかりました。
次回は箱根用水に関する長泉町の観光スポットを紹介しようと思います。

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長泉町内の観光スポット-019 長久保城 [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は約2000万年前の南海の海底火山でした。そして200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島になり、プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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長泉町にある『長久保城跡』はまだ整備が行き届いていないために残念ながら観光スポットの有力な候補にとどまっています。(実は長泉町に30年近く住んでいる私もこの城について詳しく知りません)
そんな折、長泉町の郷土史研究者の星屋様から「規模は小さいが長久保城に関して展示するので来ませんか」と声をかけていただき、さっそく出かけてきました。

下長久保文化祭.JPG
長泉町はいくつかの区に分かれていますが、展示会は『下長窪区の文化祭』で行われていました。
入口の看板はいかにも小さな区の住民達だけで行っている発表会の様相を呈していますが、内容は濃いものでした。
長久保城の事を詳しく聞けたのも貴重な経験でしたが、それ以上に『長久保赤水が伊能忠敬より40年も早く作った日本地図(赤水図)』は衝撃的でした。

<長久保城>

長久保城ー1.JPG
資料によると長久保城は鎌倉時代の初期に、当時の東海道の要所である足柄を治めていた竹下氏(藤原家の一門)が築城しました。目的は南の北条氏(現伊豆の国市、源頼朝が婚姻した北条政子で有名)や牧氏の進出を阻止するための前衛防衛基地でした。
時代が下り室町時代になると今川氏により長久保城は一大拠点になりました。その後は戦国時代になるので北条氏・武田氏・徳川氏・豊臣氏・中村氏(豊臣氏の家臣)と支配者が代わり、1600年の関ヶ原の戦い後は徳川氏の命により廃城となりました。
まとめると概略下記の様になります。
鎌倉時代
   1198年:竹之下孫八左衛門が築城したと伝えられる
室町時代
   1417年:葛山氏(今川方)が支配
   1462年:長久保氏が支配
   1531年:北条氏が支配
安土桃山時代
   1579年:武田氏が支配
   1590年:徳川家康が在陣(豊臣秀吉と山中城攻撃の作戦を練る)
江戸時代
   1613年:廃城

なおNHKの黒田官兵衛や真田丸の一場面の小田原攻め(豊臣側が小田原城の北条氏を攻める)の際の豊臣氏側の前線基地が長久保城でした。(北条氏側の前線基地は現在の国道1号線の箱根峠の南に位置する山中城です。豊臣の重臣一柳直末の戦闘の逸話はこのBlog http://shijimaya.blog.so-net.ne.jp/ の「長泉町の観光スポット-006 一柳直末の首塚」をご参照ください。)

長久保城ー4.JPG
実際に長久保城のあった場所を探す起点となるのは、長泉町を通る国道246号線周辺にある『城山(しろやま)』と言う場所(神社・バス停・交差点などの名前になっています)ですが、現在はショッピングモール(名称ウェルディー)や小学校(長泉北小学校)になっているので、当時の本丸や櫓や堀の位置はほとんど見当たりません。

長久保城ー2.JPG
現在の地図と長久保城のあった場所を重ねると、大体の場所が把握できます。相当大きな城だったようです。

長久保城ー3.JPG
発掘調査の結果をもとに約400年前の長久保城の様子をジオラマで作ってありました。写真の上が北、右が東です。
長久保城は南側が黄瀬川が流れており、東側には黄瀬川まで南北に水壕が掘られ、西側は桃沢川と急斜面の崖があり、北側は愛鷹山麓が繋がっていて自然に守られた難攻不落の要塞のようです。
なお二の丸の周りの堀は『畝堀』(堀の中に畝が作られている)で、この作り方は北条氏の出城の山中城にも見られるので一時期長久保城が北条氏の配下にあったとわかります。また本丸の西側の堀は月形になっていますが、この作り方は武田氏のものと同じなので、武田氏の配下にあった時期もあることがわかります。


<赤水図>

長久保氏ー2.JPG
先ず長久保氏の系図ですが、元々は九州の『大友氏』の一族です。室町時代に城主となり名を長久保に改めたようです。


赤水地図ー1.JPG
長久保赤水は12代の城主で地政学を学んでいました。
そのため正確な地図の重要性を理解していたものと思われます。
伊能忠敬も大日本地図を作る際に赤水図を参考にしていたという話を聞いて驚きました。同時に何故社会科の歴史の教科書に載っていないのか疑問がわきました。

赤水地図ー2.JPG
これが赤水図です。
日本全土をくまなく歩き作ったと聞きましたがどうやれば、当時の知識と技術でこの様な地図ができるのか皆目見当がつきません。
また凄いのは緯度と経度が入っていることです。緯度は現在の地図と1度以内の誤差だと聞き、さらに衝撃を受けました。なお伊能忠敬の地図には緯度経度は入っていないとのことです。

赤水地図ー3.JPG
赤水図は精度の高い日本地図だったので、吉田松陰は『赤水図があるので目的の場所に最短に行ける』旨の話をしたとか江戸幕府は『地政学の面から発禁にした』旨の話が伝わっています。
確かに発行していた時期は短かったようですが、この新聞にあるように日本の要所が正確に把握できる正確な地図は地裁学上重要なものなので開国間近の日本を虎視眈々と狙う諸外国は赤水図を入手しては本国に送ったようです。そして現在でも欧米で29点が見つかっています。

赤水図の様に正確な上に緯度経度が入っている地図が伊能忠敬の大日本図より40年も前にできていたことが歴史の教科書にこれっぽっちも載っていないのは何故なのか・・・この疑問は晴れませんでしたが、この長泉町に所縁のある歴史上の重要な人物を新たにひとり知ることができました。

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木彫-009 仏頭 [木彫]

昨年12月に報告した仏頭の木彫チャレンジ(木彫-007)で『素人が彫り方も学ばずに子供の学校の教材の5本セットの彫刻刀を使ってコツコツやった”なせばなる”』の己のレベルが分かったので、しばらく木彫から離れていましたが、今年8月の木彫-008中品上生で思いの外大勢からお褒めの言葉を頂いたので、「豚も煽てりゃ木に登る」を地で行き、『少しはスキルアップしているのではないか?』と菩薩の仏頭に再チャレンジしてみました。

正面から。大きさは高さ10cmです。
菩薩2-1.JPG

側面から
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菩薩2-3.JPG

後ろから
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今回は知り合いから頂いた杉の角材を使用したので前回よりも(木が柔らかいので)短時間で彫れました。
角材にイメージの絵を描いてから彫り始め、完成までに40時間(1日2時間x20日)でした。
今回は耳が輪郭上に来る事と表情(特に目が”土偶”にならない事)に注力してみました。

現時点の腕ではこれが精一杯です。
やはり(なんだかんだ言っても日本人なら)仏像は見慣れているので満足できる表情は簡単に得られそうにありません。さらに腕を磨くために今後しばらくは景観(滝など)や花(バラなど)に挑戦してみようと思います。


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身近な美しい草木-032 アケボノソウ [身近な美しい草木]

私たちの身近には山野草を始め、廻る季節に合わせて美しい花や葉を見せてくれる草木がたくさんあります。その中の食べて美味しく健康をもたらせてくれる葉・花・実は私のもうひとつのブログに載せていますが、食べられないために季節に合わせて美しい姿を見せてくれる草木を紹介する場が無かったのでここに載せる事にしようと思います。不定期になりますが(私見で)馴染みの少ない花たちを紹介しようと思いますのでお楽しみください。
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2日前に愛鷹山の入り口にある長泉町のパワースポットの『水神社』に行ってきました。
目的は社殿で湧き出している水を汲む事でした。以前より「水神社の水で点てたお茶・コーヒーは味が違う」と周りに話をしていたところ、「それじゃぁ実際に汲んで確かめてみよう」と話が決まり、出かけてきました。水汲みの量はポリタンクや大型ペットボトルが総計で16にもなったので、想定外に力の要る作業でしたが、「確かに味が違う」「ご飯を炊くのにも使ってみた」等と皆さんが満足してくれたので甲斐がありました。(『愛鷹山 水神社』について詳しく知りたい方はこのBlogの「長泉町の観光スポット-015 水神社」をご覧ください)
当日は初夏の様に明るく晴れやかだった上に愛鷹山としては珍しく川の水量が多かったので、水汲みの前に徒歩で10分くらい山を登り『桃沢川の水源』や『うろこ岩』に行きました。(『桃沢川の水源』は近々報告しようと思います。『うろこ岩』について詳しく知りたい方はこのBlogの「長泉町の観光スポット-001 うろこ岩」をご覧ください)
その途中に咲いていたのが『アケボノソウ』です。
アケボノソウ.jpg
白い小さな星形の花が目立ち、5角形の巾着のような蕾がかわいらしくついています。
よく見ると花は星形の5裂だけでなく手裏剣の様な4裂のものが混在していて面白いです。
*当日は水汲み目的だったのでカメラを持たずに来てしまい、スマホで撮影したのでちょっと見難いかもしれません*

<アケボノソウ>
リンドウ科センブリ属の2年草です。
北海道から九州の湿った山地に自生しています。
花期は9月~10月で、白色の花は4~5裂します。
各片をルーペなどで覗くと緑紫色の小さな点々と黄紫色の2つの斑点が見えます。その様子が明け方の空に残る星に見えると言う事が名の由来になっています。豊かな感性に感動です。


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身近な美しい草木-031 ガマズミ [身近な美しい草木]

私たちの身近には山野草を始め、廻る季節に合わせて美しい花や葉を見せてくれる草木がたくさんあります。その中の食べて美味しく健康をもたらせてくれる葉・花・実は私のもうひとつのブログに載せていますが、食べられないために季節に合わせて美しい姿を見せてくれる草木を紹介する場が無かったのでここに載せる事にしようと思います。不定期になりますが(私見で)馴染みの少ない花たちを紹介しようと思いますのでお楽しみください。
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少し前にPCが故障しました。何とか使えるようにしたもののバックアップファイルが半年前のものしか無かったので、この半年間にBlogにUpしたものやこれからUPしようと準備していたものに関する資料・調査内容・写真が吹っ飛んでしまいました。そのショックもありしばらくBlobを更新できませんでした。

そんな中、今日は散策に絶好の日和だったので近くに山を歩いてみました。
私が家の中でウジウジしていても季節は巡り、気が付くと秋真っ只中でした。トチの葉はまだ青々していましたが少しだけ実が落ちていました。傍らにはガマズミが真っ赤な実をつけていたので、何年かぶりにガマズミ酒でも作ろうかと採取してきました。
少し量が多かったので生食でも楽しもうと洗っていたところ赤色がきれいだったのでふざけて花瓶に投げ込んでみました。
ガマズミ .JPG
縄文時代の火炎土器の様にも見えます。
姿を楽しみながら一粒づつつまんで独特な甘酸っぱさを堪能したいと思います。

<ガマズミ>
ガマズミは落葉低木の木です。
秋に小さな美しい赤い実をたくさんつけるのは知られていますが、葉は紅葉して楽しめます。また初夏には小さい白い花がたくさん集まって咲き、かすかな香りを楽しむことができます。
熟した赤い実は食べる事ができます。
酸味があるので果実酒にしても美味しいです。特に晩秋の頃には甘味が出てくるので生食やジャムがお勧めです。

ガマズミの実にはアントシアニンが多いので、血液サラサラ効果があり、ガンや動脈硬化の予防・視力回復などの生活習慣病予防の改善が見込めます。
またビタミンCも豊富で、美容・美肌・新陳代謝促進・アンチエージングに効果が期待できます。
クエン酸も含んでいるので、山歩きで疲れた時には疲労回復に良いです。
(詳しくは私の別のBlog http://kuwainohajime.blog.so-net.ne.jp/ 「山菜・山野草-036 ガマズミ」をご覧ください)


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身近な美しい草木-030 コルチカム [身近な美しい草木]

私たちの身近には山野草を始め、廻る季節に合わせて美しい花や葉を見せてくれる草木がたくさんあります。その中の食べて美味しく健康をもたらせてくれる葉・花・実は私のもうひとつのブログに載せていますが、食べられないために季節に合わせて美しい姿を見せてくれる草木を紹介する場が無かったのでここに載せる事にしようと思います。不定期になりますが(私見で)馴染みの少ない花たちを紹介しようと思いますのでお楽しみください。
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明日から台風もしくは熱低の影響で風雨が強くなると聞いたので庭の鉢植えを避難させていたら、庭のあちこちにコルチカムの花が顔をのぞかせてました。
CIMG1806.JPG
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早速掘り出して球根を洗って土を落とし室内に飾る準備をしました。

コルチカムとの付き合いは、確か・・・20数年前、長男が幼稚園の時に園内バザーで1個¥100だった球根の最後の1個を買ったのが始まりだったと記憶しています。
コルチカムは今の時期に球根からスゥと伸ばした柄の先に可愛らしい花を次から次に咲かせます。それも掘り出した球根を置いておくだけで良いです(水も要りません)。
更に花が終わったら後の処理は、地に戻すだけで良いんです。その後の水遣りを欠かさなければ、冬に球根は割れて数を増やし、晩冬から晩春にかけてそれぞれの球根は葉を出して栄養を蓄え、夏にその葉が枯れると初秋に再び花を咲かせる不思議な植物です。

CIMG1804.JPG
2個の球根を1つの皿に置いてみました。このまま食卓や玄関に飾れそうです。

<コルチカム>
ユリ科コルチカム属の多年草(球根植物)です。
アルメニアの古都コルキスにちなんで名がつけられたそうです。別名としてイヌサフランやアキズイセンとも呼ばれます。
花期は9月~11月で、花色はピンクが多いですが白や黄もあります。
また花期には葉は無く、球根を置いておくだけでも開花するので室内に飾るには便利です。


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長泉町内の観光スポット-018 庚申堂 [観光スポット]

私の住んでいる静岡県駿東郡長泉町は伊豆半島の付け根辺りに位置しています。
伊豆半島は本州で唯一フィリピン海プレートの上にあります。伊豆半島の元は200~100万年前には南洋に浮かぶ火山島でした。プレートの北上に伴い100~60万年前にその火山島が本州に衝突し、その後も火山活動を繰り返しながら60~20万年前に現在の伊豆半島の形になったそうです。そのため長泉町には昔の火山活動の名残が多く存在します。また長泉町には旧石器時代から人が住んでいた跡が有ったり、鎌倉時代・戦国時代の旧跡や言い伝えが多かったり、近代では丹那トンネルができるまでは東海道本線の三島駅があったので各時代の観光スポットが揃っていてます。またその中の10ヶ所は町内のジオポイントになっています。
そこで、散歩の途中で立ち寄った町内の観光スポットをここに紹介しようと思います。
不定期な紹介になりますがお楽しみください。
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今回は長泉町の文化に繋がるかもしれませんがジオとは関係がほとんどないものです。但し、注意してみないと見つけられない「変わったもの」ではあるので紹介します。

JR御殿場線の下土狩駅から南南東の方向、徒歩約5分の場所に小さな庚申堂があります。
CIMG1789.JPG

その傍には由来が掲示されています。
それによると、この庚申堂は1648年に悪霊から村を守るために作られた道祖神だったようです。その後、富士山の宝永の噴火や天明の大飢饉などの天変地異が起こったので、道祖神が祠に変わり、その後に庚申堂になったとあります。また明治の仏教弾圧の頃は教習所と名を変えて時代を過ぎ、その後に教習所は帝釈天堂として庚申堂と共存しています。
CIMG1793.JPG

でもその由来が珍しいのではありません。
この庚申堂に設置されている石灯籠が変わっているんです。一見して分かりますか?
CIMG1790.JPG

石灯籠は以前に台風で片方が倒れて壊れたとの事です。濃灰色の方が古く、明灰色の方が新しく建てられたものです。
CIMG1792.JPG
CIMG1791.JPG

灯篭の台座の形が違うのに気が付きましたか?
何故わざわざ台座の形を変えたのかを物知りの知合いに聞いたのですが、理由は明確になりませんでした。シンメトリーにしないのは何か災いを避けるためのものかもしれないと言う意見もありましたが、調べてみると町内の石灯籠で左右の形が違うのはここだけでした。
私が最も信憑性の高いと思った意見は「新しく建てた時に上下を間違えて取り付けてしまったのでは」です。ありがちですね。




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